(2013年10月18日)皇女和宮と木曽街道
皇女和宮と木曽街道
幕末文久元年(1861年)孝明天皇の妹君、明治天皇の叔母にあたる和宮親子(ちかこ)内親王の徳川14第将軍家茂への御輿入れがあった。この御輿入れは中山道を江戸側から1万5千人、宮付きの役員4百人、京都側から1万人、雇われ人足4千人、計3万人の大行列であり、その長さは15キロに達し、これは先頭が1つの宿場に着いた時、最後尾は3~4つ手前の宿場にやっと到着したほどのものである。事実宿場は3~4宿場に分宿し、この行列が終わる迄の4日間は前例がなく、これだけの行列は大変な事であったという。立ち寄る宿場では、障子の張り替え、白刃や銃弾を予防の為畳には真綿を入れ、本陣では御用所、風呂は新築し、大変な経費負担がかかったのである。
また、街道や枝道も規制され、御輿を見下してはならぬと2階節穴はふさげ、寺も鐘をならすな、水車は止めよ、牛馬も鳴かせるなという事までお触れが出された。これには宿場の役付きも、夜逃げした人が多かったという。
11月1日中津川から三留野に入り留泊。2日目が上松、3日目が薮原、4日目本山とかかり京都から江戸まで予定より10日遅れ24日かかって、11月24日に江戸に着いたのである。
陰暦の11月といえば真冬。宿場に留まり切れず、下級武士は寺や神社の軒下にゴザを敷き、蓑(みの)を掛けて寝たといいますから旅も命がけですね。
明治に入り、鉄道や道路の開通により街道宿場も寂れ、当時の状況記録は和紙に記載されていた為に売り渡され、木曽街道の当時の記録は余りありません。
現在の岐阜市、加納宿の御献立
加納宿の夕飯
膾(なます)鰈(かれい)みぞれ大根 二杯酢
汁 赤味噌 蕪(かぶら)少々
香之物(こうのもの)奈良漬瓜 沢庵
平 牡丹海老 生湯葉 百合根 葉山椒
焼物 生ぶりの付焼
飯
加納宿の朝飯
坪 生いか 小いも きくらげ 藻ずく
汁 赤味噌 青菜
香之物 奈良漬瓜 沢庵
平 半平(はんぺい)水菜 椎茸
焼物 かけ醤油の小鯛
飯
下諏訪宿の夕食
膾 河ます(かわます)
白髪大根
平 古い骨切り(こいのほねぎり)
ささがきごぼう
汁 赤だし
香の物 奈良漬け
御飯
焼物 うなぎのかばやき